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北九州小倉在住の  【ハウスキーピングDeux】のつぶやき

<   2017年 07月 ( 17 )   > この月の画像一覧

聖イサク寺院。
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これもイタリア人建築家アントニオ・リナルディによる大聖堂だそう。
エカテリーナ二世の勅命で。
何度かここで出て来た第二次大戦中の「レニングラード攻防戦」だが、
黄金のドームはドイツ軍にとって絶好の標的と成り得たため、ソ連は灰色に塗ったのだとか。
そしてソ連時代は博物館として利用され、ロシアになって教会として復活。
現在はドームのてっぺんを修復中。
高さ102m、面積が800平方m、収容人数は14000人の世界最大級の聖堂。
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寺院を建築するのに多くの労働者が投入された・・・というCG。
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ロシア正教ではカトリックやプロテスタントと違い、祈る為の椅子がないのだそう。
十字の切り方もカトリックと反対だという。
親指、人指し指、中指の三本を使い、額→おへそ→右肩→左肩で。
カトリックは指を指定せず全体に伸ばした状態で、額→おへそ→左肩→右肩。

ランチ。
聖イサク寺院~ランチ場所~エルミタージュ美術館の移動は徒歩で。
前菜:ボルシチ
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メイン:今見るとしょぼいが、白身魚のフライにタルタルソース、野菜の酢漬け、ロシア米(?)。
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デザート:リンゴのシナモン煮
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いよいよエルミタージュ美術館。
うーん、やはり美術館は朝イチの体力で臨みたかったが・・・

エルミタージュ(Hermitage):フランス語で「隠れ家」「遁者/世捨て人の部屋」を意味するという。
エカテリーナ二世が作らせた、「隠れ家」どころかあまりに堂々とした外観で人目を惹く。
5つの建物(小、旧、新、劇場、冬宮殿)から成る建物が本館。
エカテリーナ二世自身、ロシア人の血は一滴も混じっておらず、ドイツからお嫁入り。
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そんな彼女が故郷であるドイツの美術品を買い取ったのが、コレクションの始まり。
ロシアとドイツって何かと因縁のある二国なんだね。
ちなみに夫ピョートル三世とは仲悪かったようで、彼の死後だけでなく生前より愛人がいたらしい。

世界四大ミュージアムのひとつ。
パリのルーブル、ロンドンの大英博物館、ニューヨークのメトロポリタン。
(ルーブルしか他に制覇していない私は、まだまだ旅する目的はあるのよねー)
台北の故宮博物館も入ってたりするので、別に明確な定義があるわけじゃない。
でも紛れもなく、世界に誇れるミュージアム、それがエルミタージュ。

杏がガイドするエルミタージュ美術館のドキュメンタリーを見ていたら、
ネズミの駆逐用に猫を地下室で飼ってるというエピソードがあって、
スタッフが休憩する中庭にはこんな看板があるらしい。
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あー一匹も猫見なかったよー(T_T)

2014年12月、近接する旧参謀本部の建物を改修して新館がオープンし、印象派を中心に展示。
例えば6年前にロシアに行った知人は印象派をどこで見たんだろう?
近接であって、隣りの建物ではないので、一旦出て広すぎる広場を2~3分歩かないと、印象派に出会えない。
一歩外へ出るので、本館の再入館も不可だ。
エルミタージュに4時間を設けたツアーなので気に入ったのだが、二者択一出来る。
①後半この新館をガイドと一緒に観光
②後半添乗員付きで本館自由行動
こういうフレキシブルなところもいい。
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       (広場の馬車を撮ったら、背景の建物が新館だった) 
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 (新館から本館を遠くに見る。広場ではアクロバティックなパフォーマンスの練習中)


レオナルド・ダ・ヴィンチが2作。
10枚程の数少ない絵画のうち「リッタの聖母」「ブノアの聖母」がある。
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壁に二枚掛けられているのではなく、衝立に表裏。

レンブラントの「ダナエ」。
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これに再会するのに40数年経て、やっと観に来られました。
タイミングが悪ければ、1985年に男から硫酸をかけられ、
12年もかかった修復の為に見られなかったかも知れないし、
(その為にペットボトル持ち込み禁止だという)
まさかと思うが、福岡で見たように、どこか世界の一都市で開催される展覧会に貸し出されていたかも知れない。
ダナエ:父であるアルゴス王アクリシオスによって青銅の塔に閉じ込められたが、
ゼウスは黄金の雨になって塔に入りダナエと交わった。
そうして生まれたダナエの子がペルセウス・・・というギリシア神話がベース。
これはティッツアーノの「ダナエ」。似た構図がいくつかあるがその一枚がエルミタージュに。
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これはクリムトの「ダナエ」。
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by seirisyunou-deux | 2017-07-30 14:43 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
ホテル9Fで朝食。
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ひとり参加の女性と同席。彼女が「シャンパンありますよ~」と誘惑^^
「朝シャン」なんて人生初だ。これからの観光に差し障りがあるとマズいので少量。
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早くも最後の観光日。
ロシア旅行を決めた最大の目的である、エルミタージュ美術館は午後から。
それこそロシア旅行最後の観光地ということになる。

サンクトペテルブルク、見所多いなー
ロマノフ王朝の貴族の遺産や教会を、
貴族を処刑し追放したソ連がちゃっかり観光に利用(とてもスマートではないが)、
さらに開放的になった現在のロシアがうまく活用。
だって、ソ連時代初海外でレニングラードを訪問した、ツアーのメンバーさん、
「血の上の教会」が気になり、「あれは何ですか?」「倉庫です」とそれ以上の質問をシャットアウトしたらしい。
社会主義体制は宗教を禁止。政府の指令で1930年代初期に教会は閉鎖。
第二次世界大戦中は野菜倉庫、
戦後は近くのオペラ劇場のための倉庫として使用されたそうな。
1997年8月、60年ぶりに公開されて以来、観光の目玉のひとつとなる。


最初の海外旅行はフランスかイタリアが多い、とはガイドさんが伝えてくれた話。
でもパリやローマのように、歴史的にも意義があり、
なので歴史を知って街歩きをするとグンと楽しくなり、
私が大好きなポイント「水」の風景(川あり運河あり噴水あり)もあり、
歩き疲れたなら欄干にもたれて、水路を行き交う船をぼんやり眺めるってこともあり、
郊外にも見所があり(「世界ふれあい街歩き」なら「ちょっとより道」コーナーに相応しい)。
ロシア料理も「座ると自動で出て来た」メニューだがどれも美味しく、
フラッと入ったレストランでもそんなにハズレなさそう。
こんなステキな街、もう少し行きやすくすればいいのに!
とは言え、オンシーズンなので観光客はどこも込み込み。
どこもここも入場には待たされるし。

難点は冬には訪れがたいということだな。
なので夏に集中する。
知り合いは2月にビジネスクラスを往復使っても、今回の旅費よりお釣りの来るツアーで。
見せて頂いたアルバム、背景が雪だったり曇天だったり。それはちょっと寂しい。
後、キリル文字の氾濫も私には難点だ。

まずはエルミタージュ美術館のある広場へ。
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本格的な観光は午後なので、たかだが5分の停車。
ホテルの9階レストランからも遠くに見えたイサク寺院が目の前の広場へ。
ニコライ一世像(青銅の騎士)。
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勇んで踏み上げた前脚を下ろす場所がない姿は、ロシアの象徴だと皮肉られることもあるとか。
それから橋を渡って、ネヴァ川対岸のエルミタージュ全景が見えるスポットへ。
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ここに立つロストラの灯台柱:海戦勝利記念柱。
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ネヴァ川の航路の安全のために19世紀初頭に設置された。高さ約32m。

このそばのお土産屋さんではモスクワと違って、30分程ゆったり時間を取ってくれたので、
みなさんの高まっていたフラストレーションも抑えられた模様。

血の上の救世主教会。
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上が正面(出口)で、下が裏の入口。
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公式名は、ハリストス復活大聖堂。
皇帝アレクサンドル二世が1881年爆弾テロにより暗殺された場所に建てられた為、この名が。
次男であるアレクサンドル三世(長男は早逝)が弔いを込めて建築開始。
ところが完成に間に合わず、アレクサンドル三世は病死。
完成を見たのは、彼の長男であるニコライ二世。暗殺されたアレクサンドル二世の孫。
彼こそがロマノフ王朝最後の皇帝だ。
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明治時代に来日、大津で警備に当たっていた警官から斬り付けられた「大津事件」の主。
「エルミタージュ幻想」(’02)でも最後の方に4女1男の子供たちとの食事シーンがある。
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             (左から二番目がアナスタシア)
イングリッド・バーグマン主演の「追想」(’56)では、
第四皇女アナスタシアらしき記憶喪失の女性を、
ロマノフ王朝遺産がらみでうまく利用しようとする元将軍ボーニン(ユル・ブリンナー)。
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当時巷に流れていた噂を元に映画化されたが、
最終的にDNA鑑定で本物の皇女ではないと結論付けられたらしい。
ニコライ二世一家が殺害されたエカテリンブルグは現在ロシア第五の都市らしいが、
JALのフライトMAPに載ってた。
ロシア大陸を縦に四分割したとして、一番西のラインあたりだが、モスクワから飛行機で2時間半。
ロシアは広い!何度だって繰り返す!

さて。
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血の上の救世主教会・・・名前はおどろおどろしいが、ロシア正教のフォルムはやはり好き。
内部のモザイクも秀逸。
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エルミタージュ前の広場や血の上の教会出口あたりに、王朝時代のコスチュームの人々を見かける。
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「世界ふれあい街歩き」などで、時々公務員のガイドだったりするが、
どうやらここは「一緒に写真を撮ってあげて小遣い稼ぎをする」輩たちのよう。
写真を間近で撮ろうとすると、くるりと後ろを向かれる。なので望遠で。
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by seirisyunou-deux | 2017-07-29 08:20 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
最後に写真禁止の「琥珀の間」について。
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サンクトペテルブルクの街を作ったピョートル1世がプロイセン皇帝から送られた琥珀の数々。
1世没後、エカテリーナ宮殿を作る際、これらであしらった部屋を設けた。
現在の価値で400〜500億円以上。
壁に金箔を施し、その上から6トンとも、約10万個とも言われる琥珀。
時は流れて第二次大戦でドイツが不可侵条約を破り、侵攻した際に略奪。
琥珀は消えたが1979~2003年、24年の歳月をかけた修復により蘇った。

では略奪された琥珀は・・・?
ナチスの1人の将校とその6人の部下が36時間で持ち去ったそれは、
1945年までドイツ領だったケーニヒスベルクの美術館に飾られた。
が、イギリス空軍の空襲に遭い消滅されたと言われていた。
ケーニヒスベルクは現在ロシア領のカリーニングラードとなる。
ポーランドとリトアニアに挟まれたロシアの飛地領だ。
ところがポーランドはナチス・ドイツ時代のバンカー(軍人の滞在施設)の中に盗品が封印されてあるらしいことを突き止めた。
で・・・?その後が謎。
ポーランドは琥珀の生産において圧倒的な世界一だという。

私が持っている唯一の琥珀。二十代の時頂いたものだが、
当時使っていたバッグの開閉のジッパーの先につけて(大胆!)いたが、当然のように欠けた。
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なので今はこんな風。ずっと宝石箱の中に眠ったまま。


サンクトペテルブルク中心部に戻る時の空はすっかり晴れていた。
途中左手にプルコヴァ空港を見ながら。翌々日にはここから日本に帰る。

運河に沿って少し歩くと、夕食のレストラン。
ここは旅行の中でダントツ一位かな。
出口近くに座ったので、奥の方でダンサーたちが練習している「足音」だけがする。
昔、ツアーのオプションで
アテネで民俗舞踊を、ローマでカンツォーネを聴きながらの夕食などがあったが、
ロシアのダンス等もあったりするのかな。
ダンスが売りのカフェなんだろう、照明のなんとキッチュなことよ。
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前菜:ポテトとキャベツのサラダ
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メイン:グリバーミ(きのこのつぼ焼き)
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今でも福岡市の大名に「ツンドラ」というロシアンレストランがあるようだが(1960年創業。老舗だね)、
ここで食べたグリバーミが忘れられないが、このレストランも美味。
キノコシチューがドーム型のパンに覆われていて、パンを少しずつ崩しながら食べる。
又、食べに福岡に再訪してもいいかな♪
デザート:ティラミス
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ホテルへの帰路、右ハンドルのTOYOTA車がバスの左側で同じく渋滞で止まっていて、
ドライバーの膝に愛玩犬。
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最近、膝の上の幼い息子に運転させたバカ親がSNSにアップしたが為に逮捕されたが、
ロシアのこのドライバーは運転させてないものな^^;;
2015年に右ハンドル車の運転禁止の新法が出来たらしいけど、こちらは大丈夫?

旅のパートナーの友人は車を盗まれた過去があるそうだが、
そう言えば「日本車は売れるから」と各地で盗まれ、ロシアに大量に運ばれた・・・なんてニュースありましたね。
これはフェイク・ニュースでしょうか?

モスクワのガイドさんに、
「何故ロシアで車産業が発展しなかったんですか?」と訊いた人がいた。
ガイドさん曰く、
「ソ連時代は個人の嗜好品より、国家の威信をかけたものにお金をかけていたのです。
それが宇宙開発や核開発でした」

なので街中を走る車はドイツ、日本、韓国・・・数の順だが、この3つしか見ていない。
(いや、車には疎い私のことですから・・・(汗))
ドイツならアウディ、フォルクスワーゲン、BMW、ベンツ。
日本ならTOYOTA、日産、ホンダ、マツダ。
韓国ならKIAモータース。
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ナンバープレートに”RUS(ロシア)”とロシア国旗マークがある。
アルファベット1桁⇒数字3桁⇒アルファベット2桁
数字3桁:若い数字は外交官ナンバーが割り当てられている。
日本は:005。
001:英国、002:ドイツ、003:カナダ、004:USA・・・と。
国番号(日本は81)に合わせれば覚えやすかっただろうに。
他にも公共機関も独自の番号を持っており、
その一覧に該当しない”528”は一般車ということだろう。

チェコスロバキアを旅していた時によく見たトラバントなんて見かけない。
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あれから30年近く経つし。
でも東ドイツの友人が「(うちに来るのに)〇年待ってる」と言ってたトラバント。
ロシア国産のラーダってのもありました。
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これは私がフランスの田舎、マティスの故郷ル・カトー・カンブレジで
駅から中心部に行くのに乗せてもらったタクシーがそうだった。
「これがあの・・・」と思ったので随分前なのに覚えている。

日本と韓国は119だが、ロシアでは103。
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車窓から見下ろす位置でポリスはデータ入力。
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これも車の一種。街角(トレチャコフ美術館そば)のアイスクリームショップ。
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タクシー。・・・見ればわかるがな。
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パリにも小倉にもある公共レンタサイクルシステム。
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多分、これは「ローマ字ーキリル文字変換表」によれば”STOP”と読ませる。
信号の手前に必ずこの標識がある。
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by seirisyunou-deux | 2017-07-28 08:09 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
ランチは午後の観光地、プーシキンに移動して。
半地下みたいなところに25名ギュギュギューっと詰めて入れられる。
団体ツアーの悲哀みたいなものが・・・
貴族の館だったところを改修、以前は使用人たちの控室だったとか。
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前菜:カボチャのポタージュ
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メイン:ビーフストロガノフ。やはりマッシュドポテトの付け合わせ。
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量が少ないな、ストロガノフ。それに私はもっと美味しく作れた過去がある。
デザート:バニラアイスクリーム。
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店の外観より看板撮ったので名前不明。観光後、店の横を通ってバスに乗車した。
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そんな私の後姿を撮ったのは旅のパートナー。
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プーシキンという名をロシア滞在中によく聞き、眼に止まりも(ガイドブックや旅程表で)したのだが、
何せ馴染がないので、これは人の名前?それとも町の名前?
いえいえ、18世紀にツァールスコエ・セローという名で建設された町が、
詩人プーシキンの死後100年を記念して、1937年にプーシキンに改名されたとのこと。
サンクトペテルブルク市のプーシキン区。
ここもペテルゴフ同様、避暑地として活用。

先日の「Qさま!!」(TV朝日系)は「21世紀に登録されたスゴイ世界遺産」ベスト20。
これが面白かった!
「世界遺産検定1級」俳優(この肩書が^^)・鈴木亮平が解説。
世界遺産は見てスゴイものじゃなく、知ってスゴイものなんです」と力説していたが、
ペテルゴフもプーシキンも知識以前に「見てスゴイ」!!
「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」。早くも1990年に登録。

やくみつるが当てた「当て字」。
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これがサンクトペテルブルクだそーな。いや、知りませんでしたわ~
あの解説聴きながら、私も「世界遺産検定」4級あたりから受けてみようかなと思った。
ちなみに「世界遺産一緒に行きたい有名人ランキング」のダントツ1位は鈴木亮平だった!

プーシキンの銅像。
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エカテリーナ宮殿の入口の門構えはヴェルサイユ宮殿に似てる・・・か。
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宮殿の全体像が収まり切れない。もう傘は不要な午後。
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やっぱりキュートなネギ坊主頭。
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建物の中に入ると、入口で靴をカバーするスリッパを履くことになる。
使い捨てのペラペラの紙製。
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これを大量に注文する方が、床の掃除スタッフの人件費より安上がりなのねー

で、ここで20分程待たされる。
何故なら「ツアーとして指定された開始時刻」より早目に入ってしまった為に、
ガイドさんがガイド資格証をバッグから取り出して提示後、連れて行かれたのだ。
門の入口のところで、相手側より入館許可指示を受けたから
「ちょっと早いですが」と入れたのではなかったのか。
双方のスタッフの意思の疎通が出来てなかったのか。
四角四面な対応に旧ソ連時代の弊害が垣間見える。

ようやくスタートしたものの階段途中で待たされる。
しかしこんなところで待たされるのはNot Badね~
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「豪華絢爛」の名にふさわしい、ロココ様式の数々。
イタリア人建築家を招聘して・・・とはよく聞かれたが、
こんな豪華な宮殿を作る技術をルネッサンスの花開いた時代を経てイタリアは有していたわけだ。

緒形拳が大黒屋光太夫に扮した「おろしや国酔夢譚」('92)。
マリナ・ブラディ扮する女帝エカテリーナ2世が謁見する間がここにある。
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実際ロケもここで。そりゃそうでしょう。これをセットで再現するのは無理。
1782年の出来事だが、日本では天明の大飢饉の始まりでもあった年。
江戸時代の船頭がいきなりこんなゴージャスな「謁見の間」に通され、
カルチャーショック半端なかっただろうな。
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by seirisyunou-deux | 2017-07-27 13:41 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
ガイドはサンクトペテルブルク大学日本語学科の40代(?)女性、ヴィクトリアさん。
サンクトペテルブルク大学法学部出身者にプーチンとメドベージェフ。
プーチンの次女もここで日本語を学んだという。
世代も異なるし次女と同級生はないとしても、7名の日本語専攻のクラスメイトがいたと。
半分程が同じガイドとして活躍し、ひとりは日本人と結婚して北海道に住んでいるらしい。
モスクワのガイドさんが自分のプライバシーもあけすけにジョーク交えて語ってくれたのに対し、
年齢も家族構成も出身もマイクでは語ってくれず、
一貫して真面目に「ガイド」のみを。
一度ジョークめいた感じで言うことは、
「〇〇に何時頃着きますか?はドライバーが一番キライな質問です。なのでしないで下さいね」。
サンクトもモスクワ同様、車が増えて渋滞が多くなったそう。

日本語を選んだのは「あまりにミステリアスだったから」などとは、休憩時間に私らが引き出したことだ。外国語好きな人なら挑戦のし甲斐のある日本語。こちらからすればロシア語がそうだ。

プーシキンの詩も暗誦してくれた。何が何やらさっぱり内容はわかりませんでしたが。
日本人には馴染が薄いのではと思うプーシキン(1799-1837)。37歳の短い生涯。
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詩人、劇作家であり、現代ロシア語の確立者。私は一冊も読んでいない。
のちにドストエフスキー、トルストイ、チェーホフらに影響を与えた。
妻に言い寄る男に決闘を申し込み、その時の傷で2日後に亡くなった・・・なんて勿体なさすぎ。

乳児の時にはお母さんに子守歌のように詠って聴かせられ、
小学生に上がって授業で習い(ロシア語の基礎なのでしっかり暗誦させられる)、
大人になって改めて、自らの意思で詩や文学に本で、舞台で出会う。
そんな風にプーシキンとは人生で三度会うのだそう。
「狐と狸と大統領 ロシアを見る目」(小林和男氏)読んでると、
彼がロシアでインタビューした相手が、時に困るような質問だったりすると、
プーシキンの詩を暗誦して、メタファーのようにはぐらかすのだとか。

凄まじき風雨にさらされて観光。
朝食後、いつものように9時出発で、ネヴァ川に接岸された水中翼船に乗り込む。
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コロンビアのパーカーのフードを被る位のポツポツ程度の雨だったが、
ネヴァ川をフィンランド湾に向けて舵を取り、ペテルゴフへ。
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下車するあたりは雨脚も強いが風がさらに強くて、傘を斜めに差す程。
日本でも「そうそうない」ような状況で観光。
その夜、なんだか背中が凝って痛いよ~⇒傘を風に対抗して差してたから力が入ってたからだ!
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ここはサンクトペテルブルクのペトロドヴォレツォヴヌイ区にある街。
サンクト中心部から29Km離れていて、船だって30分は乗ってたが。
戦時中は前線となったため町は壊滅した。復興が終わったのは実に1990年代になってから。

壊滅させたのはドイツ軍で900日サンクトを包囲した。
「ソ連人民海軍バルト艦隊の根拠地でもあり、
鉄鉱石の輸入を北欧諸国に依存するドイツにとって同都市の占領は経済戦略上不可欠」(Wikiより)
これが「レニングラード包囲戦」。
エルミタージュ美術館のドキュメンタリーにも
絵画を市民で守って疎開させたり、
食糧補給の道を絶たれたので、市民たちは猫を食べたり・・・とある。
餓死者も多く、人肉まで売れ、まさに飢餓地獄。第二次大戦中一番死者を出したそうだ。
1944年1月にはソ連軍の攻勢によりドイツ軍は撤退する。
翌年1945年にスターリンによって英雄都市の称号を与えられた。
 
さて。
ここに何があるかというと、サンクトペテルブルクを作ったピョートル1世の「夏の宮殿」。

ツアーメンバーのひとりが「バスはどこにあるんですか?」
「バスはありません。ここから徒歩で歩いて行きます」
皆さん、観光もしていないのに既にお疲れモード。バスに避難もしたくなる。
数人「ホテルに戻りたい」と弱音を吐きもしたらしい。
いや、私も「雨の日に噴水の数々見て、何が楽しんだーっ」と泣き、入っていた。
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無垢な子供たちがはしゃぐ「ある敷石を踏むと、ベンチのある席に座ると噴水が出る」お遊び。
さてどーれだ?
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実は後ろのおじさんがコントロールしていた。雨で誰も遊ばない日も彼は後ろに座っている・・・

見所の宮殿を、傘を肩でキープしながら「とりあえず」シャッターを押す。
晴天なら撮影位置を選ぶ為にあちこち場所替えることも出来ただろうが。。。
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大柄なヴィクトリアさんがガイド中。この傘が多分、エルミータジュ美術館で購入した柄。
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一番いいのはサイトやガイドブックでちゃんと確認することだな。
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これは階段を上がって見下ろした図。室内には入ることもなく午前中観光終わり。

芝生にはカササギとリス。
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by seirisyunou-deux | 2017-07-26 14:17 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
やはり雨か・・・
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モスクワにしろサンクトにしろ、
その街の概要を掴みたい、期待感いっぱいな初日観光に雨かよ~(T_T)
ツアーメンバーのひとりとも話したけど、
「私たち晴れ女なのに・・・」
「あら、私もですよ。でも25名もいるんじゃ、強力パワーの雨男雨女がいるかも」

ホテルについて。
アンバサダーホテル。
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同じ四つ星のモスクワのホリディインよりもお値段倍以上、
ロビーもレストランも写真がゴージャスで、惑わされたのよね~
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建物を買い取ってホテルに改造したようだ。
ホテルは”ロ”の字になっており、四方の廊下が長い。
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他のメンバーさんは中庭側で「角部屋で隣りの部屋が見える」などと言っていたが、
私らは正面玄関の真反対で、窓からは外側だが、
ホテルのある一画(”ロ”の字として)の中庭が見える。
ちょうど保育園が見えて、親御さんたちが子供を連れに来て、ひとりで帰っていた。
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保育園は建物の一番左側のドア。
その建物の裏側には小山があって犬の散歩コースみたい。
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三泊もしたので、朝の通学風景や園児たちの朝のエクササイズ風景や
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ワンちゃんとのお散歩等をぼーっと眺めていたのだが、
その場に行きたくて、二日目の夜、白夜ということもありひとりで歩いてみた。
ホテルのある一画のどこにそんな入口があるか、
ちょっとどきどきしながらも、角を曲がったらそれらしき通り道が。
小山の中に廃墟を模したものを作って、子供たちの遊び場にしていると思ったら、
小山自体が廃墟っぽくて、アプローチの階段もぐらついて危ない。
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せいぜいワンちゃんの遊び場ってとこかな。
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保育園の建物が目の前だが、柵がロックされてここからは行けない。
私らが見下ろしたホテルの窓(5階)も確認して退散する。
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モスクワのホリディインも大通りの反対側はアパート群だった。
そこも歩いてみると、庶民の生活が垣間見えて楽しい発見もあったことだろう。

廊下の途中にガラス張りのディスプレイ。
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マトリョーシカの人形そのものは買わなかったな。置くところがない。
マトリョーシカにももちろん「プーチン」柄ありました。
あるメンバーさん、12枚のプーチン柄の来年のカレンダー買ったそうな。わおっ。
来年の12月をめくる時、彼はまだ「時の人」なのだろうか。
絶句・・・Amazonで売ってたー
「残り2点 ご注文はお早めに」などとある。

エレベーター前の自動靴磨き機。
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9階レストランの朝食。
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前日の遅い夕食は場所が限定されて奥まったとこだったが、
7時から開く朝は、10分前頃から待機、窓際に席を取った。
9Fレストランの窓から見えるのは、聖イサク大寺院。
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バチカンの聖ピエトロ大寺院、
ロンドンの聖ポール大寺院と並ぶ「世界三大大寺院」とのこと。
1.2Kmの距離の寺院をズームイン。
エルミタージュ美術館や血の上の教会などの観光エリアも3Km圏内という。

サンクトペテルブルクは「北のヴェネチア」とよく言われるが、
「アムステルダムの方が近いと思います。」とはガイドさん。
車を規制しているわけじゃないからかな。
アムステルダムは最初の海外旅行で一泊しただけなので、
比較するにはよくわからない。

知り合いがロンドン赴任中に、サンクトペテルブルクに一泊二日の出張で来たとか。
そもそも空港とホテルとクライアント先の3つしか行ってないので・・・
と言われたけど、そんな残念な訪問ってある?
クライアントもわざわざVISA取っての初ロシアなんだから歓待の仕方もあったでしょう。
週末利用してエルミタージュ見るとかも考えなかったのかな。

旅のパートナーと「こんな大変な思い(VISA取得)までするロシアはこれが最初で最後ね」と。
でも私はまだサンクトペテルブルクを歩いていない!
フィンランドから国際列車で再訪するのもひとつの手段かな、
とひとり密かに思っております。

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by seirisyunou-deux | 2017-07-18 20:53 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
15:40モスクワ発サンクトペテルブルク行き列車「サブサン(はやぶさ)号」。
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モスクワからサンクトペテルブルクまで712Km。
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東京から広島位の距離。
ピョートルはモスクワからこんなに離れた地、しかも沼地をよく首都にしようって思い立ったよね。
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(イ・ソンゲが風水的に漢陽(今のソウル)を首都にした過程を知ってるだけに)
2009年12月より新幹線と変わらない所要時間で二つの都市を結ぶ。
終着駅に列車が入って来てまもなく停止すると、
各車両のドアから出て来るのは背の高い女性車掌たち。
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クレムリンの出入口に立つ兵士たちと同じように、
厳しい審査で選ばれた女性たちなのだろうか。

帰りは飛行機なので、行きが列車という旅程の組み方はいいと思う。
例え時間がかかったとしても。
(渋滞がどちらも酷く、郊外にある空港へ行く時間を考えたらそんなに変わらないとあるブログに)
翌日のペテルゴフへはサンクトから船で行くし、
バス、列車、船、飛行機と移動手段が多岐に渡り、
これで天気さえよければ(しょぼーん(´・ω・`))黄金の旅程になったのだが。

サプサン号は一日に13便走っており、
サプラン772は15:40に出発後、トヴェリとヴィシニヴォロチェクというふたつの駅で停車、
19:30にサンクトペテルブルク着。3時間50分の旅。
新幹線は荷物専用置き場が特にないが(JR九州と西日本はない)、
ここでは中央と端に二か所ある。
添乗員さんが途中下車の駅で皆さんの荷物は見張っています、と言われていた。

フランスのTGVや韓国のKTXでも経験したが、
座席が固定されるので進行方向と逆向きになることもある。
ここでも運が悪い(←私ら)と逆向き。ドイツのシーメンス社製という。
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途中から車窓に雨が降りかかっていた。
モスクワを出ると平原が広がり、これがずっと続く。
ところどころ民家も見える。
狭い日本じゃすぐにトンネルに入ってしまうのだが、
ロシアではトンネルを作る必要もない。
山など自然の障害物が間にない為、二都市間はほぼ真っ直ぐなレールで結ばれている。

二両先の食堂車に行ってみる。
車内販売が来るので「アイスクリームを」「アイスクリームならビュッフェで」。
だが実際にはアイスクリームがなく100P(ルーブル)のアップルジュースを。
手前に6つ程のテーブルがあり、満席で食事をしていた。
その奥に厨房があり、さらに奥に立って食べるテーブルが2つ。
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一等車両では食事サービスもあるらしいが、私らは二等なので。
列車内で食事したのは一度パリから南下するTGVでクスクスを食べた位かな。
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ついでにトイレも。清潔さの点では日本と全く変わらない。
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ツアーはホント楽ちん。
言われるままに乗車するだけだったが、ふといくら位だろう?と検索してみたら、
オン・シーズンでなければ12,000円位。

白夜シーズンなので、「モスクワ駅」到着の19:30は晴れていればまだまだ明るい。
ところがモスクワより胸高鳴るサンクトペテルブルクでは雨に加えてぐっと低い気温が迎えてくれた。
駅のホームでポーターを2人呼んだらしく、
私ら25人+1人(添乗員)の大大大荷物を2人が分けてさっさと運んで行った。
駅を出てバスが止まっているところまで5分程歩かされたのだが、
その間私らの荷物はどこ?の不安が高まっていたが、
何のマジック?!もう2人はバスに着いていて荷物を下していた。

サンクトペテルブルクにも5つの駅があり、
モスクワ行き「モスクワ駅」の北に
「フィンランド駅」という国際線があるらしい。
例えばシベリア鉄道で東から西にロシアを横断した後は、欧州に入って行けるんだなー
道は繋がっている。というか世界は繋がっている。
ソ連上空が飛べずにアンカレッジ経由で欧州に行ったのは昔。
ずっと繋がっていて下さい。

30分以内でアンバサダーホテルに到着。
9時近くになった遅い夕食はホテル9Fのレストランで。
何か残り物しかない・・・って状況で。温かいモノがひとつもない。
旅の全食事の中で一番シケてた(笑)
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by seirisyunou-deux | 2017-07-17 08:11 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
ランチは「On Shabolovka」。
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 Shabolovka通りにあるレストラン。
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前菜:ウハー
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白身魚と野菜を食材に使用したロシア料理のスープ。

メイン:ペリメニ
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ロシア版餃子。特徴はスメタナと言われるサワークリームがセットであること。
途中で飽きちゃった。ひとりでこの量はね。

デザート:クレープとラズベリージャムにコーヒー。
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ダクトが丸出しなインテリア。
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そして隅にライブをするのか、楽器とロックのポスター。
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旅のパートナーは十代からのロックファンなので大喜び。
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ニール・ヤング、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、ジミ・ヘンドリックス、
ザ・クラッシュ、クィーン、デビッド・ボウイ、ジェネシス、ジョニー・キャッシュ、
ジャニス・ジョプリン、エルビス・プレスリー、ボブ・ディラン。
認識したのはこれくらい。ロシア以前の「ソ連時代」に活躍したミュージシャンたち。
ソ連の「文化」の基準には外れていたのだろうが、
アンダーグラウンドで聴く人は聴いていたんだろうな。

さて。
ランチの後は、今朝もバスの中から右手に見えた駅のひとつ、「レニングラード駅」へ。
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モスクワには9つの駅があり、
行き先の地名を付けた駅名となっている。
19世紀に建てられた駅舎、ペテルブルクスキー⇒ニコラエフスキー⇒オクチャブリスキー⇒
レニングラード・・・と名前を次々に替えていったのだが、
レニングラードがサンクトペテルブルクの名前に戻っても変わらなかった。
ひとつ置いて右にはシベリア鉄道の起点ヤロスラブリ駅。
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ふたつの駅に挟まれた建物は銀行みたい。
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道路を挟んで中央アジアからの終着駅カザン駅。
ここには3つの駅が集中しており、人通りが多い。

「世界ふれあい街歩き モスクワ編」を再見して、
「モスクワと言えば赤の広場というイメージになってしまうので、他の街並も見なきゃ」。
そうだそうだ・・・でも実際他の街並みを歩く楽しみもなかった。
角に立つ元KGB(現保安庁)のビルも3度位見た、
「スターリン・セブンシスターズ」の一部も見た(ガイドさん出身大学モスクワ大学、アパート、ホテル)。
そして渋滞を引き起こしている工事現場の従事者は、
中央アジア(モンゴル系の顔立ち)から出稼ぎに来ている人たち。
工事している彼らの横を、アタッシュケースとスーツ姿のロシア人が電話しながら歩いて行く。
ここも3Kは他人任せ。そして「彼らに職を奪われた」と訴えるという図式かな。
ほとんどバスの車窓から垣間見ただけ。
多分モスクワはこれが最後・・・もっと行きやすくなったらその時は考えるけどね。
ダスビダーニャ(До свидания.)、モスクワ(Москва́ )。
ホントに来られて嬉しかった!

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by seirisyunou-deux | 2017-07-16 12:07 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
モスクワ観光二日目にして最終日。
トレチャコフ美術館観光の後はランチして、列車でサンクトペテルブルクへ移動
というスケジュール。

私の朝食。ニシンの酢漬けはオイシイ。
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旅のパートナーは朝から食欲旺盛。ライ麦パンは分けてもらった。
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ホテルのレストランへのアプローチの壁に掛かっている白黒写真。
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1950年代あたりの赤の広場だろうか。
そうそう、あの巨大な広場に緑やベンチがあってもいいのに。
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今日は☀。
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トレチャコフ美術館に行く途中のモスクワ川沿いのこと。
南イタリアのバーリから聖ニコライの遺骸が、
救世主ハリストス大聖堂(モスクワ総主教直轄の首座聖堂)に空輸され、
その遺骸を一目見ようと、全ロシアから訪れた信者たちの長い長い長い、
あまりに長~い列をバスから見る。
バーリの守護聖人聖ニコライはサンタクロースの元とも言われる。
ロシア正教会のキリル総主教とローマカトリックの法王が930年ぶりに和解し、
今年5月から7月まで聖ニコライの遺骸を貸し出してくれたのだという。
「ミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ」として正教会で篤く崇拝されているのだとか。
聖堂入口から数キロの人の列。
最後尾は一体何時間待てば遺骸を前にひれ伏すことが出来るのか。
7月12日までモスクワで、その後は第2の都市サンクトペテルブルクで同28日まで公開。
期間限定で遺骸を空輸・・・アンビリーバボーな話だがあり得るのね。


トレチャコフ美術館:モスクワの商人パーヴェル(弟)とセルゲイ(兄)のトレチャコフ兄弟が
自邸に開いた美術ギャラリー。
前庭にある銅像はパーヴェル・トレチャコフ。
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毛織物業で巨万の富を得、24歳の時より美術の蒐集を始める。1854年のこと。
屋敷を美術館として改造した後、1892年に私邸ごとモスクワ市に寄贈する。
現在、世界遺産となったノヴォデヴィチ墓地にフルシチョフらと共に眠る。

カタログを買わなかったので、写真でしか追えないけど。
ロシアの19世紀の画家イヴァン・クラムスコイ「忘れえぬ女」。
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サンクトペテルブルクのフォンタンカ川にかけられた最初の橋「アニチコフ橋」が背景。
別名「見知らぬ女」なので、画家は彼女について全く言及していないとか。
同じく彼の「砂漠でのキリスト(考古学の絵)」。
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砂の質感が緻密ですごい。

イリヤ・エフィーモヴィチ・レーピンの「クルスク県の復活大祭の十字行」。
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19世紀の画家だが、貴族の肖像も歴史絵巻的なシーンも書く。しかもリアルに。

レーピンで有名なのは「ヴォルガの舟曳き」。これはサンクトのロシア美術館が所蔵。
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たかだか11人で船を曳く、その過酷な作業をカンバスに。
ロシア民謡「ヴォルガの舟歌」の歌詞が浮かぶ。

ワシーリー・スリコフの「ストルレッツ処刑の朝」。
これはワシリー大聖堂とクレムリンの壁を前にした、なにか奴隷の売買みたいな出来事。
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ズームインすると人々の表情に希望が見えない。
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作者不明(私がメモしなかっただけ)だけど、心にズームインして来た絵画たち。
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ロシアのイコンの傑作であるアンドレイ・ルブリョフ。
15世紀に描かれた「至聖三者」。
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こんなに一度にイコンを見られた!
絵が描かれた板も年月を経て朽ちかけてもいるんだけれど、
崇高な絵を前にしてただひれ伏すしかない。
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by seirisyunou-deux | 2017-07-15 17:53 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)
まるで東南アジアのスコールみたい。
豪雨に見舞われたが、ウスペンスキー寺院内を見学している間に雨は止んだ。
午前中赤の広場の時は雨だったが、グム百貨店を出たあたりは傘なしで。
クレムリン内を歩いて武器庫に向かうあたりは晴れていた。
こんな降ったり止んだりの天気がサンクトペテルブルクまで続く。

夕食はさすがにどこかは検索出来なかったが、
ここもシンプルモダンな内装のレストランの2階。
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レストランを出てから写真を撮ったものの、看板が切れてて。
前菜:オリーブ、トマト、キュウリ、紫玉ねぎ、モッツァレラチーズのサラダ。
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メイン:又もやマッシュドポテト、ロシア料理シャシリク(串焼きの肉)。
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国が変わればケバブという言い方になる。
 
脂身のついた肉を三センチ角程度に切り分け、
刻んだタマネギ・ニンニクと好みでパセリやローリエとともに、
塩・胡椒・レモン汁などで調味したワインに一晩あるいは一昼夜漬け込む。
漬け込んだ肉を串に刺して炭火などの直火や、オーブン、フライパンなどで焼く。

デザート:チーズケーキ
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アルコールは各テーブル、オーダーが来て私は夕食だけはビールを頼んだ。
ビールなら大と小あるが、小を頼んで250ルーブル(約500円)。
飲める人々は昼間からシャンパン、赤か白のワインも頼んでいるし、
夜はウォッカなども。
食後はコーヒーか紅茶。これは込み。
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旅行代理店が違えば、このコーヒーも別料金を取られるとか。


PECTOPAH ・・・これで「レストラン」と読むし、
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кофе・・・これは「カフェ」だ。
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キリル文字はなまじアルファベットと一致する文字もあるので混同する。
(あー、規則的なハングルの何と簡単なことよ。準二級のハングル検定は見事に落ちましたが(T_T))

キリル文字を意識したのが・・・
アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」で、
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高齢のロシア出身ドラゴミロフ公爵夫人が列車内で落としたハンカチに縫われたイニシャルが”H”。
(’74版はウェンディ・ヒラー、’17版はジュディ・デンチ)
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ま、これはポワロの推理を攪乱させる為の、ひとつの作戦なのだが。
ポワロは女性でイニシャルが”H”の乗客に的を絞る。
ところが本名ナタリアの公爵夫人のハンカチだったというオチ。
ポワロは「アルファベットの”H”はロシア語では”N”ですからね」と。

このことはずっと覚えていて、
旅の途中で”R”が”P”になることもわかったので、PECTOPAH⇒RESTAURANTだ。

(そうそう、サンクトペテルブルクのガイドさんに、旅のパートナーが訊いたらしい。
「ロシアには今、貴族はいるんですか?」「革命で殺されたか亡命したのでひとりもいません」。
ホント?1億人以上いてひとりもいないの?故郷に戻っては来られないの?)

ルーブルの種類。
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英語ではroubleだが、ロシア語では рубльとなるので、
商品のタグにも「250P」などとなる。250ルーブルの意味だ。
15,000円成田で換金してモスクワの空港内で使い切った。
スーパーのお惣菜と夕食時のアルコールとお土産と列車内のジュースと空港内の飲食で。
最後は「COFFEEMANIA」というカフェチェーン店で、
カプチーノ2つ頼んだのだが、ルーブルが足らずにエスプレッソ2つに替えてもらったほどだ(^ω^;)
コインはサンクトペテルブルクの空港内で寄付してきた。
聖イサク大聖堂の修復工事の寄付箱があったので。
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コインでごめんよ。

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by seirisyunou-deux | 2017-07-14 07:22 | 旅(ロシア) | Trackback | Comments(0)