旅の記憶~ワイン・ビール~
ポルトガル、リスボンのアルファマ地区にファドを聴きに行った夜。
ファドとはポルトガルの民族歌謡。
「運命、宿命」を意味するので、ちょっと切なげな歌が多い。
アマリア・ロドリゲスが有名。
スペイン、グラナダはアルハンブラで知り合った女の子と
リスボンまで一緒に国境を越えた。
お互いの経済事情の違いで、別々のホテルにチェック・イン
(私は前夜が車中泊だった為、体を労りたかった)。
それでも、「ファドを一緒に聴きに行こう」ってことになる。
夜の8時はここではまだ宵の口。
9時半からファドは始まり、真打になると夜も更けた頃に登場。
2人で魚介類やエビ入りオムレツをつまみながら、本場のファドに浸りながら、
マテウス・ロゼを一本空にした。(飲めない口なのに。。。)
宿とファドのダブルのささやかな贅沢。
店に入る前、空の色が青から濃紺に変わる様のあまりの美しさに驚嘆するが、
12時前に店を出る時は土砂降り。
そんな気まぐれ天気とファドとワイン。
この三点セットで、私の心は束の間、リスボンに飛んでいく。

ビール
チェコスロヴァキア、プラハのビアホール、ウ・トマス。カフカの生家の近く。
’88年のこと。
テーブルが合い席となり、恰幅のいいおにいさんたち2人の前に座らされる。
つまみもなく、ただひたすら大ジョッキで流し込んでいる彼ら。
聞いてみると、東ドイツ、ライプチヒ近郊在住で、
タクシードライバーと電気修理工。
車でプラハに来て、キャンプ場で寝泊りをしているという。
実はこの旅で、姉の友人である東ドイツ人の男性とプラハで待ち合わせたのだが、
彼も又、宿泊所はホテルでなく、郊外のキャンプ場。
「東ドイツ旅行者のプラハでの過ごし方」の共通マニュアルでもあったんだろうか。
多分、私らが泊まったというか、
国が西側の観光客に提供(兼管理)したホテルは、
高すぎて手が出なかったに違いない。
その翌年、世界はドラスチックな時代の潮流を迎えることになる。
ベルリンの壁崩壊・・・

その兆しを彼らが感じていたかは知る由もないが、
「君たち(=私ら)はいろんなところに行けてうらやましいね。
僕らが行けるところはソ連、チェコスロヴァキア、
ブルガリア、ポーランド、ルーマニア、
ハンガリーだけ」。
ユーゴスラヴィアは東側でも比較的自由だったので
、(逃亡の怖れで?)出国許可されないという。
上記の中で、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ソ連、
ユーゴスラヴィアの国名は今は存在しない。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。。。
その間もただビールだけをお代わりしていた。
ウェイターはお代わり持ってくるたびに、伝票に横棒(-)を書きこんでいる。
その棒の数と言ったら!20はあっただろうか?
(Y.F.)
【整理収納アドバイザー Deux】

を、TVニュースの
映像で初めて知った時、
凄いショックを
受けました。
「ゆく河の流れは
絶えずして、
しかも
もとの水にあらず……。
「プラハの春」から
「ベルリンの壁崩壊」へ
水が高いほうから
低いほうに流れるように
、
自然な流れだっのかなぁ。
今年から
なぜか始めた
「禁酒、禁煙」
「禁酒」のほうは、
まだ、なんとか
続いてますが…。
「アマリア・ロドリゲス」
残念ながら、携帯では
再現できませんでした。
大通りをほろ酔い加減で歩きました。
そこは、ソ連が戦車で軍事介入した通りでもあり、
砲弾の痕も生々しい博物館が通りを見下ろす形で立っています。
「歴史は面白い」と片付けては、
それこそ歴史の主人公たちには失礼ですけどね。。。