2017年 06月 28日
白夜のロシア旅行♪-初日①
念願のロシアに行って来た!行けた!ようやく(´;ω;`)!
絵画好きとしてエルミタージュ美術館は我が人生において外せないと、
ロシア旅行のシミュレーションを立て始めたのが4年前あたり。
ところが2014年にロシアのウクライナ侵攻があり、
二の足を踏んだ形。
今回25名のツアーに参加して、ツワモノたちの話を聴く機会があった。
初海外が「ソ連」だった(旅好きな父親に連れられた家族旅行)!という女性がいて、
ロシア、レニングラード(当時)、キエフと回る間、
キエフの空港では照明が消えていて他に一台も飛行機がない、
なにかとてつもない緊迫感のある状態を体験したという。
そのツアーの中でドイツ語がわかる人がいて、
「どこかに軍事侵攻したようだ」と。
それが1968年、チェコスロバキアの「プラハの春」をソ連軍がブロックしたその日。
この話を実家でしたら、
母親が「ああ、モスクワオリンピックをボイコットした時ね」
「違うよ。それはソ連軍によるアフガニスタン侵攻の時」。
かの国は、チェコスロバキア、アフガニスタン、ウクライナ・・・
と何かと歴史的禍根を残していますね。。。
そんな国に行く物好きな私も私ですが・・・
しかし、物好きは他に24名もいて。
メンバー中一番若いご夫婦が、1989年11月に新婚旅行にドイツに行き、
そこのホテルのテレビで、何事かインパクトの強いコトが起こっているらしきニュースを見る。
それが「ベルリンの壁崩壊」だったと。
まあ、世界的なニュースとなった「その日」、旅行中だということもあるだろう。
私も同じ1989年に初めてのひとり旅、地中海を臨むスペインの町で
天安門事件の前触れのようなニュースに出くわした。
民主化に積極的だった胡耀邦(こ・ようほう)が死去、それに伴う学生たちの民主化運動が起こったと。
そんな内容がフロントページの新聞をキオスクで見て、
何か世界的なうねりの前兆なのだろうか、と胸を過ったことを覚えている。
うちの両親がベトナム&カンボジア旅行に出かけていて、
空港で迎えた私が興奮気味に話したことは、
「日本にいない間に、ソ連が崩壊しちゃったよ!」
1991年12月のことだった。
一度だけ、ソ連時代のシェレメチェボ空港にトランジットしたことがある。
二度目の海外でしかもツアー、エールフランス航空でパリに行く途中。
巨大な空港は照明が半分に落とされてあり、写真撮影は禁止。
今回、モスクワ市内を中心にシェレメチェボと対極の位置にあるドモジェドボ空港を利用した。
周囲のロシア旅行体験者たちが異口同音に言う通り、
「写真撮影禁止区域なんてどこにもなかった」。
あるのかも知れないが、そこは観光客のルートではないということ。
考えてみれば日本の隣国でありながら、中国以上に「鉄のカーテン」で隠されている。
遥か遠い国。ブラックホール的大国。
何度も飛んだ西欧より2時間も早く着くのに、情報の少ないロシア。
ヴィザ申請の難関はあるにはあるが、
一旦入国してしまえば、そこは自由な空気がポプラの綿毛と共に漂っていた。
ソ連が崩壊して既に26年。
「新生ロシア」しか経験していない若者が年々増えていく。
若者たちは自由を享受しているかに見えた。
ところで。
私の初のショック絵画体験はレンブラントの「ダナエ」だった。
記憶が定かではないのだが、中学生か高校生の時に、
福岡県立美術館で開催された「エルミタージュ美術館展」にて。
ギリシャ神話に登場する、幽閉されたダナエの等身大の絵画。
「光と影の魔術師」、レンブラントの真骨頂のような傑作だが、
門外不出であっても可笑しくない名画が、ホントに遥か海を渡って福岡に来たのだろうか・・・
しかし、三大絵画体験を挙げよと言われれば、まずこれが入る。
二つ目は福岡に住んでいた頃、北九州美術館に見に来た「プラハ美術館展」の
クリムトの「ユディット」。
まるでCG効果のように、ユディットと私だけ光で結ばれた一瞬だった。
不思議な体験だった。
三つ目はグラスゴー美術館で、旅のパートナーと分かれて自由に観ていた時、
あまりの神々しさに涙した、ダリの「キリストの磔刑」。
神と同じ視点で私がキリストを見下ろしていた。
その旅のパートナーに同じ質問をすると、
①ミュンヘン、アルテ・ピナコテークで観たデューラー「自画像」
②ウィーンのベルベデーレにあるクリムト「接吻」
➂ロンドン、ナショナル・ギャラリーのヤン・ファン・アイク「アルノルフィーニ夫妻像」
という。
この「三大絵画」はこれから変動もあるかも。
名作はいっぱい世界に散らばっているのだから。
十代の頃、感動した絵画の長い年月を経た再会は、
今回のロシア旅行の一番の目的でもあった。
【家のお片付けや家事代行のご要望はこちらへ==>Deux】
絵画好きとしてエルミタージュ美術館は我が人生において外せないと、
ロシア旅行のシミュレーションを立て始めたのが4年前あたり。
ところが2014年にロシアのウクライナ侵攻があり、
二の足を踏んだ形。
今回25名のツアーに参加して、ツワモノたちの話を聴く機会があった。
初海外が「ソ連」だった(旅好きな父親に連れられた家族旅行)!という女性がいて、
ロシア、レニングラード(当時)、キエフと回る間、
キエフの空港では照明が消えていて他に一台も飛行機がない、
なにかとてつもない緊迫感のある状態を体験したという。
そのツアーの中でドイツ語がわかる人がいて、
「どこかに軍事侵攻したようだ」と。
それが1968年、チェコスロバキアの「プラハの春」をソ連軍がブロックしたその日。
この話を実家でしたら、
母親が「ああ、モスクワオリンピックをボイコットした時ね」
「違うよ。それはソ連軍によるアフガニスタン侵攻の時」。
かの国は、チェコスロバキア、アフガニスタン、ウクライナ・・・
と何かと歴史的禍根を残していますね。。。
そんな国に行く物好きな私も私ですが・・・
しかし、物好きは他に24名もいて。
メンバー中一番若いご夫婦が、1989年11月に新婚旅行にドイツに行き、
そこのホテルのテレビで、何事かインパクトの強いコトが起こっているらしきニュースを見る。
それが「ベルリンの壁崩壊」だったと。
まあ、世界的なニュースとなった「その日」、旅行中だということもあるだろう。
私も同じ1989年に初めてのひとり旅、地中海を臨むスペインの町で
天安門事件の前触れのようなニュースに出くわした。
民主化に積極的だった胡耀邦(こ・ようほう)が死去、それに伴う学生たちの民主化運動が起こったと。
そんな内容がフロントページの新聞をキオスクで見て、
何か世界的なうねりの前兆なのだろうか、と胸を過ったことを覚えている。
うちの両親がベトナム&カンボジア旅行に出かけていて、
空港で迎えた私が興奮気味に話したことは、
「日本にいない間に、ソ連が崩壊しちゃったよ!」
1991年12月のことだった。
一度だけ、ソ連時代のシェレメチェボ空港にトランジットしたことがある。
二度目の海外でしかもツアー、エールフランス航空でパリに行く途中。
巨大な空港は照明が半分に落とされてあり、写真撮影は禁止。
今回、モスクワ市内を中心にシェレメチェボと対極の位置にあるドモジェドボ空港を利用した。
周囲のロシア旅行体験者たちが異口同音に言う通り、
「写真撮影禁止区域なんてどこにもなかった」。
あるのかも知れないが、そこは観光客のルートではないということ。
考えてみれば日本の隣国でありながら、中国以上に「鉄のカーテン」で隠されている。
遥か遠い国。ブラックホール的大国。
何度も飛んだ西欧より2時間も早く着くのに、情報の少ないロシア。
ヴィザ申請の難関はあるにはあるが、
一旦入国してしまえば、そこは自由な空気がポプラの綿毛と共に漂っていた。
ソ連が崩壊して既に26年。
「新生ロシア」しか経験していない若者が年々増えていく。
若者たちは自由を享受しているかに見えた。
ところで。
私の初のショック絵画体験はレンブラントの「ダナエ」だった。
記憶が定かではないのだが、中学生か高校生の時に、
福岡県立美術館で開催された「エルミタージュ美術館展」にて。
ギリシャ神話に登場する、幽閉されたダナエの等身大の絵画。
「光と影の魔術師」、レンブラントの真骨頂のような傑作だが、
門外不出であっても可笑しくない名画が、ホントに遥か海を渡って福岡に来たのだろうか・・・
しかし、三大絵画体験を挙げよと言われれば、まずこれが入る。
二つ目は福岡に住んでいた頃、北九州美術館に見に来た「プラハ美術館展」の
クリムトの「ユディット」。
まるでCG効果のように、ユディットと私だけ光で結ばれた一瞬だった。
不思議な体験だった。
三つ目はグラスゴー美術館で、旅のパートナーと分かれて自由に観ていた時、
あまりの神々しさに涙した、ダリの「キリストの磔刑」。
神と同じ視点で私がキリストを見下ろしていた。
その旅のパートナーに同じ質問をすると、
①ミュンヘン、アルテ・ピナコテークで観たデューラー「自画像」
②ウィーンのベルベデーレにあるクリムト「接吻」
➂ロンドン、ナショナル・ギャラリーのヤン・ファン・アイク「アルノルフィーニ夫妻像」
という。
この「三大絵画」はこれから変動もあるかも。
名作はいっぱい世界に散らばっているのだから。
十代の頃、感動した絵画の長い年月を経た再会は、
今回のロシア旅行の一番の目的でもあった。
【家のお片付けや家事代行のご要望はこちらへ==>Deux】
by seirisyunou-deux
| 2017-06-28 15:08
| 旅(ロシア)