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北九州小倉在住の  【ハウスキーピングDeux】のつぶやき

スロベニア&クロアチア&ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行-初日①

年上の方に「ヘルシンキからクロアチアに行く」・・・と言うと、
「船で行くの?」「・・・えー、クロアチアってどこだと思ってあるんですか?」
「チェコのそば?」「んー、国境を接してはないですね」
そもそもヘルシンキからチェコへも船では行けないじゃないか!
地理に関心のない人との会話って・・・💦
又、別の人からも「クロアチアってラトビアとかの並び?」って訊かれたので、
そうか、”ア”で終わるので、バルト三国のひとつと思われているのかもと納得。
だったら、ヘルシンキから船で行けるしなー
が、もし、ヘルシンキからクロアチアへ船で行くなら、バルト海⇒北海⇒大西洋⇒地中海⇒アドリア海とぐるっと回って大変(-_-;)

クロアチア・・・いまだにメジャーではないかも。
でもフランスやイギリス、ドイツ、私の印象では「旅人たちに優しい人たちの国」ベルギーだってテロに見舞われ、
「スリより怖いテロ」と最近はヨーロッパへのあこがれを遮断される気がする。
そんな中、スロベニアやクロアチアはまだヨーロッパの中では安心して旅が出来る国々。

ツアーメンバーさんも
「クロアチアに行くと言うとどこ?と訊かれたので、まずイタリアの”長靴”を書いて、アドリア海書いて、その右の国って教えたわよ」。
そう、そこです(笑)
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旧ユーゴスラヴィアが、強烈カリスマリーダーチトー大統領の死後、崩壊へと向かう。
解体分離し、念願の独立を果たしたアドリア海に面した西側の二か国、それがスロベニアとクロアチア。
長年抑圧されていた民族主義故か、すんなり独立を勝ち取ることも出来ず、紛争へとなだれ込む。
「アドリア海の真珠」ドブロブニクすら砲弾の雨を否応なく浴びることとなる。
そんな悲しい負の歴史も風光明媚な景色の裏に隠されていた。

私は去年のロシア旅行の後は、次はクロアチアと固く決めていた。
何故なら「花よりお姉さん(コッポダ ヌナ)」(TvN,2013)の行き先だったから。
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「花よりおじいさん(コッポダ ハルベ)」の続編とも言える、ナ・ヨンソクPDによる韓国バラエティシリーズ。
その後、「花より青春(コッポダ チョンチュン)」シリーズも続き、
行った先もフランス、スイス、台湾、スペイン、ペルー、ラオス、アイスランド、アフリカ・・・と多岐に渡る。
つい先日「花よりおじいさん」が再開、ドイツに旅立ったというニュース。
で、私が一番印象に残ったのがユン・ヨジョン、キム・ジャオク、キム・ヒエ、イ・ミヨンの女優たちとイ・スンギの荷物持ち計5名によるクロアチア。
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二回目の視聴ではコースを地図で確認しながら。
サグレブからレンタカー借りて南下、最初に観光した小さな村「ラストケ」、
これが今回の旅行代理店のパンフに「2018年の新コース」として載っていたのが、
ツアーを申し込む決め手だったな。
それと福岡空港発フィンランド航空利用だったこと。
帰りがヘルシンキ一泊だったこと。このみっつ。

三回目の視聴は旅の出発前、
四回目の視聴は帰国した今!
何度観ても楽しい♡
あの時「コーンヘッズ」的帽子をキュートに被っていたキム・ジャオクも今は亡き人となり。。。
(女優たちの「花より」シリーズはもうないのかな。素顔さらけ出すことになるので難しいかな)

ところがだ。
旅の途中、私はもっと前にここら辺に行きたがった・・・ってことを思い出したのだ。
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20世紀の話、チェコとスロヴァキアがまだひとつの国だった頃、
オーストリア⇒チェコスロヴァキア⇒ハンガリーと東欧にも脚を踏み入れた、多少の「不自由」旅行をしたことがある。
(1988年に旅した時、「ハプスブルグ王朝の光と影を訪ねて」ツアーと勝手に命名)
そしてその流れで「なかなか行き辛い国」第二弾の旅として、
ユーゴスラヴィアを旅行しようと。これが旅のパートナーが手書きしたラフなスケジュール。

それが1991年。
ルフトハンザ航空を利用して、
ベオグラード⇒ドブロブニク⇒サラエボ⇒リュブリアナ(ブレッド湖とポストイナ鍾乳洞含む)を周り、
最後にベオグラードに戻り、フランクフルト経由で帰国するという、けっこー具体的なプラン。
(「2人でスプリッツァ」ツアーと勝手に命名(爆)⇒当然「3人でスプリッツァ」('82)に倣ったんでしょうね💦)
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LH741(現在は関空⇒フランクフルト)便を指定していたけど、
関西国際空港開港は1994年なので、当時は伊丹空港出発便だったのだろう。
当時ユーゴスラヴィア「国内」線の各値段もチェックしていた。
が、その年に内戦が勃発、
外務省の「海外安全ホームページ」なら
「退避して下さい。渡航は止めてください」レベルにすぐにでも切り替わったことだろう。
まあ、その時はパソコンも身近になく、格安航空券を扱っていたH社からのお達しだったと思われるが、
ユーゴスラヴィア行きを諦め、英国ドライブ旅行に切り替えたのだった。

プランの中にプリトヴィツェ湖群国立公園が入っていない。
自由旅行者たちのバイブル(当時はねー)「地球の歩き方」を参考に作ったのだろうが、
まだ観光地として確立してなかったのかな。
あ~、だったら今回でよかった♪
「どこが一番よかった?」と訊かれたら迷わず「プリトヴィツェ」と答えるので。
ドブロブニクでなくてゴメン。
若気の至りで強行突破せず、27年経った今年まで待ってよかった・・・とつくづく思うわけです。

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by seirisyunou-deux | 2018-06-20 16:46 | 旅(スロベニア・クロアチア) | Trackback | Comments(0)