There Is No Place Like Home (我が家に勝るものなし)♪

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北九州小倉在住の  【ハウスキーピングDeux】のつぶやき

これはクロアチアからわざわざ国境を越えて迎えに来てくれたツアーバス。
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ここはスロベニアのブレッド湖。観光初日の朝8時。
このバスの窓ガラスに「クロアチア・スロベニア・ボスニア・ヘルツェゴビナ8日間」とパンフ通りのタイトルが。
ところが最初この紙がドライバーさん(左)によって、逆さまに貼られていた。
すぐに反応した添乗員さん。
「あらー逆さまですよ。全部日本語の中で唯一わかるだろう数字が”8”ですもんね。上から見ても下から見てもおんなじの・・・」

三か国をたった6日間でバス移動をするハードな日程。
当初、クロアチアだけを巡るツアーを探していたのだが、
スロベニアとカップリングでツアーが成り立つようなのだ。
そして、ボスニア・ヘルツェゴビナには泊まらず、スプリットからドブロブニクへ移動する途中の町モスタル観光3時間。
このボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の町に寄るか否かはツアー次第。
確かにハードで(結果的に暑くさらにハード感増した!)はあったけれど、
オーストリア・ハンガリー帝国ティストの残るスロベニア VS オスマントルコ帝国が征服したその残り香が強いボスニア・ヘルツェゴビナ。
同じ元ユーゴスラビアでもこんなに違いが・・・と面白く旅できたことだった。
あるツアーメンバーが「ボスニアとヘルツェゴビナの間に「・」があるので、二か国と思った」って言ってた。
ふたつの地域名を合わせて国名としたのね。

スロベニア人と言えば・・・トランプ大統領メラニア夫人。
クロアチア人と言えば・・・チトー大統領自身。「第三の男」女優アリダ・ヴァリも。へーえ。
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ボスニア・ヘルツェゴビナ人と言えば・・・サッカーの前日本代表監督ヴァヒド・ハリルホジッチ。
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イビチャ・オシムもそうだし。「大統領」かと見まがう風格ね。
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うん、わかるわかるって感じ。そんな人が現地にいっぱいいました。
言語はイタリア語っぽい感じ(By 素人)。
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スロベニア、ブレッド湖界隈の「コイン入れたら踊る熊」に反応していた幼き姉妹。
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プリトヴィツェ湖を周った後の休憩地点。チェリー売りのおばさん。
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ラストケ村のガイドさん。
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ドブロブニクの熱弁ガイドさん。

そうそう、モスタルをツアーでぞろぞろ歩いている時に、
私にたまたま「どこから?KOREA?」と訊いてきた中年男性がいて、
「JAPANです。あなたは?」
「ポーランド」
というので、「ワルシャワ、ショパン」と思い付くまま言うと、笑っていた。
後悔したのは「ワレサ、アンジェイ・ワイダ、ズビグニエフ・チブルスキー(「灰とダイアモンド」の)」も追加すればよかったなと(笑)
発音難しいからたった30秒で別れた彼(後に奥様も)には通じなかったかもね。

フィンランドでも一泊すると言うと、
アキ・カウリスマキファンの友人は「カウリスマキによろしく~  でもみんな『かもめ食堂』の方なんだよね」。
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いやいや、アキ・カウリスマキどころか「かもめ食堂」に反応する人もほとんどいないツアーで(;_;)

ドブロブニクからヘルシンキに飛ぶフライトで、
カウリスマキの映画に出て来るカティ・オウティネンやマッティ・ペロンバーに似た乗客がいたからなんだか可笑しかった。
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キャビン・アテンダントも一様に大柄。失礼ながらこんなに太っていてもCAになれるんだ・・・って人もいた。
レニー・ハーリンもフィンランド系だそうな。
別の友人が「やっぱり金髪碧眼の美男美女って感じだった?」と訊くので、
「んー、アキ・カウリスマキの映画に出て来る人たちがごろごろいたよ」とだけ答えた。

で、ちょっと旅を遡る。
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福岡空港国際線情報だ。
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「ヘルシンキ(夏季のみ運航)」・・・今年は10月26日が最終便だという。
これが来年の夏季へと繋がるといいが。
ヘルシンキ一泊とは言え、24時間はスティしていない。
それでもコンパクトに歩ける観光の中心、あちこちで見かけるデザインがモダンで面白いのだ。
ここは何度行ってもいいかも。このヨーロッパの入口からフライトのあるどこかの街へ飛んで行ける旅ならいい。
来年に期待♪というか祈りにも似た想い。


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# by seirisyunou-deux | 2018-06-21 07:51 | 旅(スロベニア・クロアチア) | Trackback | Comments(0)
年上の方に「ヘルシンキからクロアチアに行く」・・・と言うと、
「船で行くの?」「・・・えー、クロアチアってどこだと思ってあるんですか?」
「チェコのそば?」「んー、国境を接してはないですね」
そもそもヘルシンキからチェコへも船では行けないじゃないか!
地理に関心のない人との会話って・・・💦
又、別の人からも「クロアチアってラトビアとかの並び?」って訊かれたので、
そうか、”ア”で終わるので、バルト三国のひとつと思われているのかもと納得。
だったら、ヘルシンキから船で行けるしなー
が、もし、ヘルシンキからクロアチアへ船で行くなら、バルト海⇒北海⇒大西洋⇒地中海⇒アドリア海とぐるっと回って大変(-_-;)

クロアチア・・・いまだにメジャーではないかも。
でもフランスやイギリス、ドイツ、私の印象では「旅人たちに優しい人たちの国」ベルギーだってテロに見舞われ、
「スリより怖いテロ」と最近はヨーロッパへのあこがれを遮断される気がする。
そんな中、スロベニアやクロアチアはまだヨーロッパの中では安心して旅が出来る国々。

ツアーメンバーさんも
「クロアチアに行くと言うとどこ?と訊かれたので、まずイタリアの”長靴”を書いて、アドリア海書いて、その右の国って教えたわよ」。
そう、そこです(笑)
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旧ユーゴスラヴィアが、強烈カリスマリーダーチトー大統領の死後、崩壊へと向かう。
解体分離し、念願の独立を果たしたアドリア海に面した西側の二か国、それがスロベニアとクロアチア。
長年抑圧されていた民族主義故か、すんなり独立を勝ち取ることも出来ず、紛争へとなだれ込む。
「アドリア海の真珠」ドブロブニクすら砲弾の雨を否応なく浴びることとなる。
そんな悲しい負の歴史も風光明媚な景色の裏に隠されていた。

私は去年のロシア旅行の後は、次はクロアチアと固く決めていた。
何故なら「花よりお姉さん(コッポダ ヌナ)」(TvN,2013)の行き先だったから。
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「花よりおじいさん(コッポダ ハルベ)」の続編とも言える、ナ・ヨンソクPDによる韓国バラエティシリーズ。
その後、「花より青春(コッポダ チョンチュン)」シリーズも続き、
行った先もフランス、スイス、台湾、スペイン、ペルー、ラオス、アイスランド、アフリカ・・・と多岐に渡る。
つい先日「花よりおじいさん」が再開、ドイツに旅立ったというニュース。
で、私が一番印象に残ったのがユン・ヨジョン、キム・ジャオク、キム・ヒエ、イ・ミヨンの女優たちとイ・スンギの荷物持ち計5名によるクロアチア。
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二回目の視聴ではコースを地図で確認しながら。
サグレブからレンタカー借りて南下、最初に観光した小さな村「ラストケ」、
これが今回の旅行代理店のパンフに「2018年の新コース」として載っていたのが、
ツアーを申し込む決め手だったな。
それと福岡空港発フィンランド航空利用だったこと。
帰りがヘルシンキ一泊だったこと。このみっつ。

三回目の視聴は旅の出発前、
四回目の視聴は帰国した今!
何度観ても楽しい♡
あの時「コーンヘッズ」的帽子をキュートに被っていたキム・ジャオクも今は亡き人となり。。。
(女優たちの「花より」シリーズはもうないのかな。素顔さらけ出すことになるので難しいかな)

ところがだ。
旅の途中、私はもっと前にここら辺に行きたがった・・・ってことを思い出したのだ。
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20世紀の話、チェコとスロヴァキアがまだひとつの国だった頃、
オーストリア⇒チェコスロヴァキア⇒ハンガリーと東欧にも脚を踏み入れた、多少の「不自由」旅行をしたことがある。
(1988年に旅した時、「ハプスブルグ王朝の光と影を訪ねて」ツアーと勝手に命名)
そしてその流れで「なかなか行き辛い国」第二弾の旅として、
ユーゴスラヴィアを旅行しようと。これが旅のパートナーが手書きしたラフなスケジュール。

それが1991年。
ルフトハンザ航空を利用して、
ベオグラード⇒ドブロブニク⇒サラエボ⇒リュブリアナ(ブレッド湖とポストイナ鍾乳洞含む)を周り、
最後にベオグラードに戻り、フランクフルト経由で帰国するという、けっこー具体的なプラン。
(「2人でスプリッツァ」ツアーと勝手に命名(爆)⇒当然「3人でスプリッツァ」('82)に倣ったんでしょうね💦)
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LH741(現在は関空⇒フランクフルト)便を指定していたけど、
関西国際空港開港は1994年なので、当時は伊丹空港出発便だったのだろう。
当時ユーゴスラヴィア「国内」線の各値段もチェックしていた。
が、その年に内戦が勃発、
外務省の「海外安全ホームページ」なら
「退避して下さい。渡航は止めてください」レベルにすぐにでも切り替わったことだろう。
まあ、その時はパソコンも身近になく、格安航空券を扱っていたH社からのお達しだったと思われるが、
ユーゴスラヴィア行きを諦め、英国ドライブ旅行に切り替えたのだった。

プランの中にプリトヴィツェ湖群国立公園が入っていない。
自由旅行者たちのバイブル(当時はねー)「地球の歩き方」を参考に作ったのだろうが、
まだ観光地として確立してなかったのかな。
あ~、だったら今回でよかった♪
「どこが一番よかった?」と訊かれたら迷わず「プリトヴィツェ」と答えるので。
ドブロブニクでなくてゴメン。
若気の至りで強行突破せず、27年経った今年まで待ってよかった・・・とつくづく思うわけです。

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# by seirisyunou-deux | 2018-06-20 16:46 | 旅(スロベニア・クロアチア) | Trackback | Comments(0)

親の家を片付ける⑤

それで、福岡の旧実家をどうする?

姉に「実家に思い入れとか未練はある?」と訊かれたが、
冷たいようだけど、それがナイんですよ。
同じ頃(小学生高学年)家を建てたという友人宅、途中完全な建て替え工事をしたそうな。
一方、実家はあの時のままで、
途中キッチンを一度リフォームしたり、壁を壊して二部屋の風通しをよくしたり、
雨戸、ふすま、畳、照明等を替えはしたんだろうが、
一部屋にコンセントがひとつ・・・とパソコン等家電が増える以前の仕様のまま。
客間でもあるリビングの壁はずっと同じもので暗い。
冬寒くて夏暑い。段差も多い。
介護保険で手すりや段差解消のステップなども追加された程、昔の家仕様。
又、忍び寄る魔の手も多くてね💦
一軒家で鍵もかける習慣がないものだから、押し売りが来やすいのだ。
郵便受けや表札近くに、「高齢者ひとり暮らしの女性」の暗号というべきシールが4~5個貼られていたそうで、
「ひとつひと剥がしていきました」とケアマネさんたち。
近年ずっとそんな由々しき「問題」が発生していたもんだから・・・
こんなシールもナフコで購入した程。
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警察からの警告シールも後にケアマネさんたちが貼ってくれていた。

今、住んでいる住宅型老人ホームは築6年。
新しくどこもバリアフリーで安全で快適・・・なハズ。
それなりの入居費用かけて、管理費払っているんだもの。
ベランダはウチのベランダより奥行があり、そこから見える景色は建築群に邪魔されずに、
足立山麓が望める。初夏の清々しい山々が。

圧迫骨折の入院中にモデルルームの写真見せただけで、
「小倉に移り住むことになるから」と決行したのは、やはり強引だったのかちょっと心は痛むけれど。
心身共に弱っている時に、抵抗する気力もなかったのかも。
「あっちで死にたかった」「小倉に行きたくなかった」と時々つぶやかれる本音。

引っ越してから1か月は経った。
福岡でも電気と水道料金は払っている。
最低限のライフラインね。
調理も入浴もしないだろうし、プロパンガスは止めた。
まだお墓が福岡にあるので、立寄ることもあるだろう。
ただリビングの照明器具等を持って来たので、泊まるのはコワイかも。
これから夏を迎え、庭の草も伸び放題となるだろうし、
大木もどうなる?
郵便受けにポスティングされない為に、ガムテープ貼って来たので、
住んでないのは一目瞭然。雨戸も閉めきっているし。
四方からの視線は常にある場所なので、不審な者が住むことはないだろうけど・・・どうだろ。

入退院を機に集合住宅に住み始めて3年のお客様がいる。
火災保険の更新が来た時に「住んでないなら更新出来ない」と言われて、
60年以上住んでいた二階建て一軒家を解体したそう。
その費用が中味の処分も含めて240万円。今は更地のまま。土地の売却はまだ不動産を介してないらしい。
そこは車が通れない密集地だったので、そんなに高かったのかなぁ。

実家を解体処分する方向は決まっているのだが、その時期を決めかねているという状態。
いつまで光熱費を払い続けるか、それは同じく火災保険更新のタイミングなのか。
住んでいない家を既に10年以上キープしている、という話は周囲にあちこちにある。
あまり長期化させたくないのだが。

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# by seirisyunou-deux | 2018-05-15 08:01 | 整理収納 | Trackback | Comments(0)

親の家を片付ける➃

「遺品整理」ならぬ「生前整理」は
本人の意向や価値観を尊重しながらの作業になる。
親への「捨てろ」は禁句だというが、
それでも何でもかんでも「捨てない」「取っとく」と言われたら、カチンと来そう。

ヘルパーとしての活動だったが、
ある(汚部屋の)クライアント宅で玄関に卵ケースがいくつか置かれていたので、
「これは賞味期限とか大丈夫ですか?」と訊いてみると、
手に取られ、返事もしないで違う場所(玄関は玄関)に置きなおされた。
「息子からは『片付けろ』としょっちゅう言われる」方だ。
本人との相性以前に、私が母親の行く末を考えなきゃいけない大変な時期だったので、
一回で行くのをやめた。
汚部屋なのに「片付ける」意識が全くないと、それだけでストレス。
(何故玄関に卵?と思われる人もいるでしょうが、想像できないことは世の中にいっぱいあるのだ(笑))

義母が亡くなってもう13年経つが、
口癖が「私の持ち物は私が亡くなってから捨てて」だったな。
その費用、体力、時間をどれだけ残った者が使うかは露とも考えずに。
モノのない戦争前後を生き抜いて来た人たちの大半の想いだろうか。

が、母は塗りのお正月の御屠蘇セットもさっさとゴミ袋に入れたので、助かった。
お茶を嗜んでいた時代もあったようだが、いくつかの茶器の処分にも躊躇なく、
一番高かったという(10万位・・・ヒエーッΣ(・□・;)棗(なつめ)だけは持って来た。
世代が異なるが為の価値観というよりは、
私たちは母の趣味を継承しておらず、お茶やお花の習い事には無縁。
着物、毛皮、宝石・・・と言った類、
時々TVで「女性なら誰しも好きな・・・」と言う枕詞が付くモノにも興味がない。
誰でもじゃないっていうのに( -。-) =3

今回も母のアクセサリーの取捨選択通りに動いたのだが、
「形見にもらおう」とは全然思わない程。姉も同じく。

食器も食器棚が三つもあった程だから、
処分した食器の方が多い。
普段使いの食器を縁が欠けていても使っていたりしたので、
お茶碗とお箸以外は、今まで出番がなかった食器を持っていくことにした。
「やはり『老いては子に従え』と言いますのでその通りにしようと思います」と誰彼に漏らしていたように、
ある程度観念して、執着からも脱却したのかも知れない。

逆に私が母の過去旅行先毎のパンフ、観光地のリーフレットやチケットを分別したことがあるのだが、
その時は姉が片づけをしていて
「旅行のモノは全部捨てると言ってるけど」とガックリな内容のラインが届いた。

持っていったのでは服が一番多かったかな。
若い時から服を自分で縫っていて、さらに三年前に亡くなった母の妹の服が実家に大量に移って来たので。
それこそ「遺品整理」をしていたいとこたちは、
渡りに船、とばかりに叔母の服を大量に持って来たらしい。いつの間にか服が倍ぐらい増えていた。
母もサイズは同じで、自分のより洗練度高いとあれば、着たことない服ばかり着たがる。
そうなると昔の服は処分して頂く方向で。
コットン素材ならハサミで切ってウェスにすれば、それこそリユースになる。
ウェス (Waste):古着や古布を再利用(再使用)して雑巾がわりにするもの

長年使っていたミシンはもらってくれる人も見つからず、「一緒くた」処分をサンルームで待っている。

父方が布団屋をしていて、よく布団が送られて来た。
実はまだ使えるものが旧実家に。でも嵩張るので、今すぐに貰うことも出来ない。
いずれウチの布団と入れ替えたいのだが。。。課題だ。

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# by seirisyunou-deux | 2018-05-13 13:54 | 整理収納 | Trackback | Comments(0)

親の家を片付ける➂

親の急死で子供が「大事なもの」を探すのに往生した・・・という話を聞く。
その「大事なもの」を親はなかなか子供に伝えたがらないとも。
「90歳にもなる母がなかなか通帳のありかを教えてくれない」とも。
伝えないままの状態だと、いろんな業務が滞ることになるのでこれは必須要綱なのだが。
現金、通帳、契約書類、印鑑、登記権利書の類。
ウチは父が死んだあたりはまだ緊急性もなく知っておかなきゃという意識もなかったが、
母のひとり暮らしが5年程経ったあたりに「教えておくね」と言われた。
ちゃんとこの時に真摯に向き合うことだなぁ。

それらはもともと2つの三段引き出しケースに入っていたので、
この2つは中身そのまま持ってきた。
しかも引っ越し業者に任せるのではなく、自分たちの車で運んだ。「大事なもの」なので。

引っ越し業者のサイトには「梱包から開梱まで」のデラックスコースもあるが、
選んだのは「搬出から搬入まで」。
(「引っ越し難民」のニュースが2月あたりから聞こえてきていたので、1か月前から予約していた)
3人の男性スタッフが9時に来て、10時半までには出発した。
「持っていくのはこれとこれ」と家具・家電を指させば、シールを貼っていかれるが、
唯一仏壇だけはスルー。シールを貼るのは不敬だという。梱包も一番気を使われたようだ。
指摘されるまで冷蔵庫の中のものを出すのをすっかり忘れていた・・とこちらのミスも多少。
だが、割れたり傷ついたりということもなくスムーズに終了したと思う。
持ち家なので、また取りに来られるということもあり、
隅々まではチェックはしていないままの出発だった。
次に行った時にお米の計量カップやものさし、筆記用具、もうひとつの掛け時計、アルバムなどを
運んで来た。
リビングに掛けてあったシスレー(もちろん展示会で買ったポスターだが)の絵画や、
こっちでは掛けるとこすらない掛け軸、十二支の置物、花瓶の数々など
あちらに置きっぱなしのモノもまだあり、
これらはこのまま「その他の粗大ごみ」の範疇に入ってしまうのだろうか。
重い引き出しのタンスや、リビングのガラステーブル、キッチンの頑丈な食卓・・・・
と同じように?

「捨てる神あれば拾う神あり」で
大きな食器棚とキッチンにあったTVは隣りに越してきた若夫婦がふたりで運んで行ったそうだし、
5個の1シータで構成されたソファセット、劣化していた残りのふたつは知り合いが後日持って行ったようだ。
段ボール二箱ほどぎっしり入れたタオルは、母が声掛けして行った人たちが
次々に持って帰ったそうで、いつのまにか一箱になっていた。
タンス、テーブル、食卓等もどこかで誰かが「中古でいいんだけど」と探しているのかも知れない。
でもどこにいるんだろう?
奇跡の出会いがなければ、いずれ家の解体をする時の「一緒くたの処分」に。

私ら娘たちには「何か持って行きたいものあったら、持って行っていいよ」と言うが、
欲しいものならとっくにGETして「うちの子」になってるし、
今回私らで分け合ったのは、妙にストックが多かったトイレクイックルだけだった。
あ、そうだ、私だけ貰い物の冷酒コップセットをもらったのだった。
誰も嗜まない冷酒。。。でもヴィジュアルよくて処分出来なかった。
それがこれ。この為に、Amazonで棚を買ったのだった。
「日常の空間をお洒落に可愛く 飾り棚 壁掛け シェルフ ウォール ラック 4 (ホワイト)」ってヤツ。¥2,280。
ウチの床の間の棚に引っ越して来た6個の器♪
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で、小倉に着いたのがちょうどお昼だったので、
私らも業者もランチタイムを設けて、
搬入開始は13時過ぎだったろうか。
搬出よりもぐっと早かった。1時間もかからなかったと思う。
エアコン設置業者が別に来て設置する間に、
冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ソファ、仏壇を所定の位置に置いてくれて、
それ以外の段ボールは空きスペースに次々と重ねて置く。
この間、ガムテープを剥がして開梱するのは御法度だ。業者の作業の邪魔になるので。
代金を支払って帰られた後に、やっと開梱。

「これだけの段ボール、持って来てしまったものの、
ワンルームの収納に収まりきれるだろうか。」
これは結論から言うと、杞憂だった。
他の家の「大片付け」を経験していないので、比較出来ないのだが、
人ひとりが暮らしていく、それだけでモノはそれなりにある。
けれど全部収まるとこに収まったし、
キッチンや玄関の作り付けクローゼットの一番上の棚は空いている程だ。

段ボールは畳んで重ねて紐でくくって、
ホーム所定のゴミ置き場に置いておけば、後日引き取りに来るという。
中身はとにかく出すだけ出して、翌日にはもう部屋の中から出した。
それだけで一応はすっきりする。次なる収納へのステップにも弾みがつく。

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# by seirisyunou-deux | 2018-05-12 17:03 | 整理収納 | Trackback | Comments(0)